今回のお題:
あなたの憧れの職業は!? by プレスブログ
いきなり結論から言うならジャンボ機のパイロットですね。
3歳くらいの頃から今(34歳)に至るまでこの事が頭を離れた事はありません。
管理サイドの立場の人間がこんな事を強く言うのはどうかとは思いますけど、当然いまの職業は本来は好きで始めたものとは言えません。
ではまだパイロットを目指しているのか?
と聞かれたら困惑します(笑)
キッカケは3歳児くらいの頃に親に羽田空港に連れて行ってもらって『こんな大きいのが空を飛ぶの?』的な衝撃があった事だけは覚えています。
毎日自宅や幼稚園で飛行機の絵を書いていました。
またオモチャを買ってもうらう際にねだっていたのは必ず飛行機関連のものでしたね。
その後、何かのタイミングで実際に飛行機に乗ってさらに感動しました。
しかし、僕が幼稚園児のだった頃、あるショッキングな事故がありました。
年長クラスの最後だったはずなので1982年頃だったと思います。
羽田沖にダグラスDC−8が墜落した事故です。
この事故で多くの方が亡くなりました。日航機の御巣鷹山の時もそうですが連日テレビや新聞でやっていた救助作業の光景が今でも脳裏に焼きついています。
この羽田沖の事故に関しては、自分が憧れていた乗り物が海の上で真っ二つになっていたのをテレビで見て、一人で涙していたのを今でも覚えています。
なぜ泣いてたかと言われたら分かりませんが、恐らくかなりショックだったんだと思います。
それ以来、さらに飛行機が頭の中から離れなくなり、小学校の宿題で将来自分がなりたい職業を調べてくるという課題では、ナケナシのお小遣いを持って友達と二人で羽田空港まで行って実際にパイロットに会って話を聞こうと試みました。
当時のお小遣いの金額からして、国鉄と東京モノレール代の往復分は大きかったですね。
最近は別の建物を建設中のようですが、当時そこに羽田空港のメインターミナルがあって、おそらく今でいう環八通りの天空橋から空港手前のトンネルの中間あたりに、昔の日本エアシステムの乗務員がいる事務所がありました。
友人と一緒に警備のオジサンに『パイロットに会わせて!』とお願いしてみたのですが、当然断られました(笑)
その友達に『やっぱりダメだから帰ろう』と止められたのですが、諦めきれずにこっそりフェンスの先まで侵入(笑)、別の警備の人に捕獲されてしまいました。
そこで散々怒られて、親を呼ばれそうになったのですが『会わせてくれるまで帰らない!』とダダをこねていたら、見かねた地上支援の職員の方が日本エアシステムの事務所に交渉してくれて、晴れてキャプテンクラスの方と会う事が出来ました。
(25年以上経った今でも顔を忘れてません。本当にありがとうございました)
そこにはコパイ(副操縦士クラス)の人や他の操縦士の方もいて、宿題でパイロットのなり方を書きたいと話したら、みんなで協力してくれました。
そこで初めてパイロットという職業の素晴らしさ、それからめちゃめちゃ勉強しなければならない事と、健康でも極めて健康でなければならない事を知って、今まで嫌々行っていた剣道やマラソンをするようになり、中学受験をする決心をしました。
その後、不運な事で受験には失敗しましたが、航大に行く事や、専門学校や海外のFAA資格が取れる学校を見学しに行ったりなど、道を模索しながら進学していきましたが18歳の頃に一度迷ってしまい、さらに進学していく事を辞めました。
しかし、落ち着いて考えたらやっぱり諦めきれずに大学をもう一度目指そうと考えましたが、海外留学の件を思い出して一度渡米し、必要な最低限の生の英語を習ったり、いろいろ調べた上で帰国。
その後、高額な学費を稼ぐために運送業界へ就職しました。
しかし、お金も溜まってきた丁度その頃はイケイケの20代で、やはり車も買いたいし、女の子とデートもしたいなど余計な雑念が入ってますます離れてしまい、なんだかんだと歳を重ねるうちに運送業界のジャンボ機(10t以上の大型)には乗れるようになってました(笑)
その間に様々な業界の人と出会い、いろんな生き方がある事も知り、自分の性格や適性なども考えて起業を決意してある商売を開業。
その間に学校などで習える年齢制限も過ぎてしまい、さらに子供が出来た事がキッカケで一度結婚も経験したこともあり完全に挫折してしまいました。
その後、離婚やいろいろな不幸にもあいましたが、今となって見ればこれで良かったのかもしれません。
正直なところ僕は仕事が嫌いです。
仕事が趣味なんて有り得ません。生きるために仕方なくやるものと思っていますので、そこに生き甲斐を見つけようとは思いません。
仕事のために生きて、仕事のために死ぬのはだけはお断りです。
でもどうせ稼ぐなら、大きく稼ぎたいとは思ってます。
しかし、こんな僕がパイロットを職業としてやっていたら、仕事というものを好きになれない性分なので、幼少の頃からの夢を嫌いになってしまうのでは?と思いました。
『好き』を仕事にしたら『嫌い』になってしまう可能性があるという事です。
でもこれを目指した事によって、お金では買えない、他人に教えてもらう事が出来ない人生で大事な事を教わりました。
それは『向上心』を養えたという事です。
あの人のようになりたいとか、こういう風になりたい思う『向上心』というものは、太古の昔から人と他の動物が同じように進化してきた中で、他の動物が成しえなかった事を人間が成しえた理由の一つでもあるのでは?と思います。
ですからこれで良かったと思うのです。
今後、いろんな事に余裕が出来たら改めて自家用免許くらいは取得しに行ってみようと思います。これはあくまでも夢の達成だけの趣味的領域です。
それを目標に日常の仕事をする事で少しはモチベートが上がるかなと考えています。
また、どうせ嫌いな仕事をするのなら、せめて人に喜んでもらえるような役に立てる仕事をしたいと思うので、今は資格取得や新しい事業の事を考えてます。
ただし、自分の息子達にはこんな教えはしようとは思っていません。
夢は寝て見るだけのものでは無く、まずは純粋に目指す事を教えたいと思ってたりします。
長くなりましたが今回のテーマはこれまで!
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